刑事裁判には重要なルールがあります。
それは,犯罪があったことを証明する責任は検察官にあって被告人にはないというルール,その証明は,常識に従って判断して,被告人が罪を犯したことが間違いないという程度まで証明されなければならないというルールです。
このルールは,もしかしたら,一見,裁判を受ける被告人のためにあるルールと感じられるかも知れません。さらには,もしその被告人が実際は犯罪を犯していたとすれば,犯罪を犯した人の隠れ蓑のようなルールに見えるかも知れません。
しかし,そうではありません。
もしこのルールがなかったら,私たち市民は,不確かなことで罰せられる危険にさらされることになります。もし,何かの間違いで,犯人と間違われて逮捕されてしまうようなことがあれば(痴漢冤罪が問題になっているように,こうした間違いは実際に起きています),無実の証明を私たち市民がしなければならなくなります。しかしもちろん,私たち市民は,無罪を証明する証拠を集める組織を持っていません。能力も持っていません。その結果,実際は何もやっていない人も罰せられてしまう危険がとても高くなってしまいます。
こうした危険をできる限り少なくするために,刑事裁判のルールが守られなければならないのです。このルールがなかったら,私たちは,冤罪におびえて過ごさなければならないかもしれません。このルールは,犯罪者の隠れ蓑なのではなくて,私たちの自由を守っている,私たちのためのルールであるということができます。